







2026年9月5日にワンコの「MORE」が死去した。
2007年10月末生まれのチワワとシーズーのミックス犬。雄♂。
享年18歳(と10か月)の大往生だと思う。
基本的にウンチは外でしかできなかったので、亡くなる3日ぐらい前まではほぼ毎日散歩も行ってウンチをしていた。

当時7歳(小2)だった娘がMORE(モア)と名付けた。

シーズーの犬種は毛がすぐに伸びるのでトリミングはこまめに行く。



9月に入って少し涼しくなってきた季節の変わり目の木曜日に調子を崩して、昼夜の睡眠が徐々に浅くなる。多分どこか痛かったんだろうと思ったが、鳴いたりうめいたりすることも全くなく、その日は行きつけの近所のペットクリニックが定休日で、翌金曜日の開業時間に妻に付き添ってペットクリニックに行き、炎症を抑える(痛み止め?)点滴で眠らせてもらった。
その翌日の朝はトイレに歩くこともできていたが、下痢のウンチを床にしたり、嘔吐をしたりで調子悪く、土曜日の午前診に妻が連れて行って下痢と嘔吐止め処置をしてもらう。


死んだ直後に奈良のペット火葬業者さんに翌日の予定を確認し、夕方の予約をした。過去に仕事でお世話になった業者さんだったこともあって、我が家が無料エリアになっていたことは知っていたので以前から業者選びの心づもりはあった。
日曜日ではあったが、午前中に娘の仕事のアポがあったため、帰宅時間が予定より少し遅くなるとの調整で当日のリスケをお願いしたりで無理を言ってしまったが快諾してもらった。



娘が関東圏に行ってから5年ぐらいはほぼ妻が世話をし、私はただ癒されていただけだったが、私が定年退職した4月からは、私が散歩に行くことも多かった。
家を離れた娘は老犬をすごく気にしていて、しょっちゅう妻に電話しては様子を確認していた。去年の末にはMOREに会うためだけの帰省をしたりしていた。
モア〜! 今まで家族を癒してくれてありがとう!
妻も私も娘もペットロスにはならない。
けど、今まで居たことの習慣はなかなか取れないのでまだ思い出すことも多い。
先日、京都の宇治にお住まいの元お客様だった方に伏見区の中書島まで会いに行ってきた。自分が20代の頃から得意先として出入りしていた会社の方で、当時はデザイナーだった方が約20年後には部長に、そしてコロナ前の頃には関連会社の社長になられていて、まだ仕事のお付き合いはあった。
10歳ぐらい年上のその方は、出会った当時から直接の上司ではないが上司のように慕っていて、たまにお会いする時はほぼ一方的に楽しくお話を聞くことができた。コロナ前に声をかけていただいてからはお会いできていなかったので、自分が退職してから会いたいと思い久しぶりにこちらから声をかけたら、快く会ってもらえた。
最終的に取締役になられていたので定年はないのだけれど、コロナ直後には退職されていたのは知っていた。自分が退職してからお元気かどうか聞いたら、お時間を作って会っていただけた。最寄り駅まで行ったら車で迎えに来ていただき、近くのCAFEでたぶん3時間ぐらいお話を聞いた。自分から話すことは特になかったので…笑
自分の勤めていた会社には20年ぐらいは先輩が居なかった。
今は亡き前社長も年下で、今の社長も10歳以上年下の上司だったし、しばらくは自分が最年長だったので、余計に慕う先輩上司に飢えていたのだろうか?
会社の制作部の直の上司で言うと、20年ぐらい前に退職して自分の会社を立ち上げていた5歳ぐらい上のOさんには私が退職直後に会いに行ったり、さらに30年ぐらい前に辞められて会社を経営されている10歳ぐらい上の営業の元上司のHさんには元同僚経由で声をかけてもらって、30年ぶりぐらいに焼肉をご馳走になった。
さらには、ずっと気にかけていただいていた15歳ぐらい上の営業のNさんに退職の旨を報告したとき、向こうから声をかけていただき、定年退職を祝ってゴチになった。
こちらから声掛けして会った人は自由な時間がある年上のパイセン。
それはあまり時間的な気は遣わなくていいから。笑
社内には同期はいなかったけど、社外の同期なら定年とかも同時期だし、気を使わないので退職後に何人か声はかけたけど、会えたのは専門学校当時の同級生1人だった。
もう1人親しかった卒業からフリーランスだった同級生は近年まで親しく、一緒に甲子園に行ったり、頻繁に飲み会とかも行っていたのだが、あるとき娘に対しての嫌ごとを言ったので、自分が「何様やねん!」と言ったら気を悪くして疎遠になった。
こちらとしては、同期なら「何様やねん」って言われたぐらいで気を悪くするかな?ってのがあって、そのとき謝りはしたけど、親友を修復しようとも思わなかった。
数年経って、礼儀のつもりでメールだけでも退職の挨拶は伝えたら、メールの返事には、近年に大病を患ったらしく、今は元気だと推測はできたけど、障害は残っている的な感じに読み取れて、すごく残念に思った。
しかも遠くに引っ越していて簡単には会いに行けない環境にもなっているので、物理的にも疎遠のまま。
向こうから声を掛けてくれるなら、遠くてもこちらから会いに行くのはやぶさかではないが、会いたいと思ってはもらってないのならそれでいい。
もっとも今は、同級生で言うなら、高校の同級生は同窓会以外でも気軽に会える人が意外と多く、大阪で1人、阪神間でも男女を問わず数人はいる。
さらに、故郷の丹波篠山市にも知り合いレベルで話せる友人なら、十数人はいるのでありがたいのだが、自分は今はマイカーを持ってないので、気軽に会いに行くことができないのは残念だ。
で、後輩には比較的気を遣うことはないけど、フリーランスのみんなはそれなりに忙しいし、元会社の後輩はさすがに昼飲みできないんだよねw
雑誌を買うことは昔から結構あったが、流石に近年は電子書籍の雑誌を見たりすることが多くなり、買うこともなかった。記事としては読めるのでいいのだが、ヌードグラビアとか袋とじなどが載っている電子書籍はモザイクとかではなく、大きくグレーでマスクされていることが多く、あまり見応えがなかった。笑
特別ヌードグラビアを見たいわけではないけど、あったら見たい気持ちはわくので、グレーで隠されているのはストレスだった。
そこで、買った雑誌をスキャン画像化してチョチョイと編集して、PDFにしてマイサーバーにアップしてタブレットで読むのは、暗がりでも読めたり拡大して見ることもできたりで、ストレスが少ないと思ってからは、朝の時間前とか昼休みとかに止め針金を外して自動両面スキャンしてデータを溜めておいて、持ち帰って編集するのは楽しい時間だった。




この作業が楽しいのだ!笑
PDFを個人だけの共有ドライブにアップして、MacやiPhone、iPadで読めるようにしている。
退職してからは自動スキャンはできなくなったので、10年以上使っていなかった古いA4スキャナを使ってスキャンすると、自動取り込みより時間は3〜5倍ぐらいは掛かると思うけど、まあまあ丁寧に撮れるので、これはこれで重宝している。時間はたっぷりあるし笑
雑誌以外にも図書館で借りた書籍や図鑑などをスキャンして、PDFにしてiPadで読むというようなこともやったりしている。
最近だと「誠のサイキック青年団」のだいぶ古いボロボロになり掛けてる書籍を借りて自炊してPDFにすることで楽むことがあったり。
決して一般共有はしていないけど、これってグレーなんかな??
退職するときに身辺整理をして、ずいぶん昔の雑誌が出てきた。
昔は会社のデスクサイドまで自由に出入りする書店の営業がいて、定期購読する本を発売日に持ってきてくれていたので、20代の私は月2回発行の「CAR AND DRIVER」と月刊の「Hot・Dog PRESS」を受け取っていた。後者は早くに止めたが、書店で300号記念が出ていたので買ったものだと思う。

当時北方謙三氏が小説を連載していたので、氏をメインにフィーチャーして編集されていた。特にセクシーなグラビアとかが載っている雑誌ではなかったけど、定期的にSEXの特集とかはあったと思う。

2000年当時「モーニング娘。」が席巻していたのでそのプロデューサーだったつんく氏がゲストで対談していた。他に小川直也氏もいたが、当時から格闘技にはさほど興味がなく、読み飛ばしていたと思う。

小池栄子氏は当時も今でもトップクラスの女性タレントで俳優でいるけど、他の人たちは当時は人気者だったのか?あまり記憶にない。

当時のトップアイドルといえば広末氏だったのかな?
今見返したらそんな印象の雑誌だった。

私も好きなビジュアルだった。テレビでは志村けん氏とよく出ていた印象。

この雑誌を買った当時はすでに定期購読は止めていたので、こういった過去の特集を読みたくて買ったと思うが「保存版」とか書かれていたらつい買ってしまう30代後半だった気がする。笑
今となっては雑誌本体は字が小さすぎて読めないので、中綴じの留め金を外して自動両面スキャンして見開きに繋いでPDFにしてタブレットで読む。本体は断捨離。
自分としてはこれがベストな雑誌の活用法だと思っている。
サブスクの雑誌読み放題とかもあるが、一時期入っていたけど、グラビアの隠しが多すぎて止めた経歴がある。笑
読みたい雑誌はサブスクでもいいけど、見たい雑誌は買わないと見れない。
同じ会社に勤続44年。
生え抜きという形にはなるわけだけど、65歳で定年制になっているわけではないと思うような小さな会社なので、社長とか、有望若手ディレクターにお願いすれば居させてもらえたのかもしれない。
嫌じゃない限り、居心地が悪くない限り、居させてもらえるものならお願いしてでも居たほうがいいのはわかっている。社会保険と国保とか健康保険の条件は大きく変わってしまうもんな。
でも、年金が出る以上、それを65歳から普通にもらいたいし、健康に自信があるわけではないので、働きながら働けなくなって辞めるのは寂しいし、それによってちゃんと引き継ぎができなくなると会社に迷惑かけてしまうと思ったから。
それに、定年退職でも並行して失業保険が辞めた日から150日分の満額もらえる辞め方を押す、同じ境遇の同級生たちの意見も参考しにして、そのようにすれば半年は何もせずとも今までのような生活はできるので、その手続きもするつもりだ。
今の所、残念ながらお金になりそうな別のやりたいことは特にないし、お金を使うやりたい趣味もない。いや、それはできない。笑
44年間働いて築いたパソコン使ったWEBとかのスキルはあるけど、IT関連は日進月歩、今後も進化に付いて行かないと、自慢できるようなスキルではくなる。
なので進化について行くのがしんどくなったとも言えるかな。
職場のバックヤード側はこんな感じだった。(表側はR2沿い)


先日会社に置いてる私物を持ち帰った。
マイカーは持ってないので、会社のハイエースを借りた。
当初は毎日少しずつ手持ちで帰ってもいけるかな?って思ってたけど、いざまとめてみたらダンボール10個ぐらいになった。
とはいえ、ハイエースを使うほどでは全然ないんやけど、手頃な小型車は会社にはないので。笑
このダンボールは会社の近所のスーパーで「お持ち帰りください」と置かれたものを1個ずつ何日かかけて事務所に持ち帰ったもの。
会社で私物のゴミをたくさん出すのは申し訳ないので、シュレッダーできるものと、同じサイズの手帳のような紙ゴミはまとめて残したけど、私物としてとりあえず持ち帰っただけで、自宅ガレージに積んでみた。

これを時間ができてからゆっくり「ときめくかときめかないか」で断捨離していく。笑
「データだけにして捨てる雑誌類」「売れるかもしれない書籍」「残しておきたい雑貨」など、仕分けに時間を使いたいと、今は思っているけど、果たして積んだままにしてしまわないか?、疑問ではある!笑

2025年12月5日。妻は娘の芝居観に東京へ。
私は尾崎裕哉くんのライブ「OZAKI PLAYS OZAKI 2.」を観に大阪NHKホール。
尾崎裕哉氏は尾崎豊の息子さんで36歳。尾崎豊が26歳で亡くなったときまだ3歳だった。
「OZAKI PLAYS OZAKI 2.」は、全曲尾崎豊という企画のライブで、大阪では初開催だった。
「1.」は東京開催で、DVD買って観たんだけど、フルバンドではないのが曲の大半だった。「2.」は期待通り全曲フルバンドだった。しかも尾崎豊をサポートしていた人がいるメンバーで尾崎豊の歌が聴けるのは亡くなってからはなかったと思って、チケットも後ろの席なら発売から数日過ぎてたけど買えたので。
観客は自分と同じく年齢層高めが多かったので、前の方の一部とぼっんぼっんと立ってる以外は、座って聴いていた。演者としては観客が立った方がいいんやろけど、ずっと立つのは辛い。
自分にとっては9割方知ってる曲だったので、目いっぱい楽しめたけと、帰りにエスカレーターの後ろから聞こえたのは「3曲ぐらいしか知らなかった」って声。普通はそうなんやろな。それでは楽しめなかったのかな?
途中、あるノリノリの曲の間奏中に裕哉くんが観客席に降りて階段を駆け上ってきた。自分はその通路側で、ほぼ目の前まで来たので自分も含めて周囲はみんな大興奮だったけど、せっかく座って観れてたのに、そこから立つ人が多くなって、斜め前の人が立ったのはちょっと残念だった。斜め前なので見えるんだけど、このオッサンだんだん通路に出て来てたまに視界を遮る。今更自分も立てないしな…っていらっとした。笑
歌は上手いしギターもピアノも弾ける。声も尾崎豊に似てるので申し分ないんだけど、ギリギリ満席にはなってなかったのは残念。
去年私の田舎、丹波篠山にも行っていたようなので、ギター1本でも、ピアノだけでも興行ができるのだろうけど、さすがに地方にはフルバンドでは行けないだろう?
価格と人気のバランスって難しいんやろな。
